[ 東洋書店発行・ユーラシア・ブックレット編集委員会作成/ユーラシア・ブックレット45『続日本のなかのロシア』(2003.2.20発行)より ]

  函館の「ロシアホテル」と五島軒のロシア料理

 函館はロシアとは何かと縁のある町である。一八五八年、日本で唯一のロシア領事館が開設されると、ロシア軍艦が頻繁に訪れるようになった。あるアメリカ人の手記には、函館では町を歩くとロシア語が聞こえてくる、と記されている。この頃何事もロシア風」というのが幅をきかせていたらしく、料理もその例に漏れなかった。

 一八五九年、初代イギリス領事が函館に着任した時、箱館奉行や各国領事、ロシア士官たちを招いた正餐は「ロシア風」だった。またこの年、函館の町人が外国人向け料理店を開店させたいと役所に願書をだしたが、役人の意見書にはロシア領事が本国から料理人を呼び寄せると申し立てたことが記されてあった。領事の申立てとの関係は不明だが、外国人用に造成された大町築島に、「ロシアホテル」なるものが出現したのは、一八六四年のことである。経営者は、ピョートル・アレクセーエフといって、あるロシア軍艦の船長の農奴だった(ピョートルの没後は、妻のソフィア・アブラーモヴナが引き継いだ)。

 函館における本格的ロシア料理の始まりは、このロシアホテルだった。ここではパンが焼かれたし、専用牧場があって、肉類や牛乳が手に入ったから、これらが食材として使われたことは当然である。陸に上がった軍艦の乗組員たちの食欲を満足させたことは想像に難くない。一八七九年には廃業した模様だが、当時の新聞には、「元ピョートル屋敷でパンや砂糖パンを販売」という広告が見られ、主人はいなくなってもパン造りの技術などが受け継がれたことがわかり、非常に興味深い。

 また、末広町にある老舗レストラン五島軒は一八八六年以来フランス料理がメインだが、それ以前、初代料理長は、ハリストス正教会で習い覚えたロシア料理を出していたという。現在メニューにロシア料理は載せていないが、レシピは受け継がれ、要望に応じてくれるそうだ。

 その他市内には白系ロシア人の子孫がはじめた店「カチューシャ」があり、ピロシキやボルシチといったおなじみのロシア料理を食べさせてくれる。

*補記 現在(2004.6.17)はカチューシャは閉店し、「モーリエ」というロシア料理のメニューをそろえた店があります。

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